乾燥もずくの読書文3 『ある神主の話』

<これは2021/06/01に🎮シノ🐈:Vtuber|pixivFANBOX で公開した同名記事の転載です>

 

どうも、もずくです。

人とお酒が飲みたい今日このごろに、こんな短編はいかがでしょうか。

田中貢太郎『ある神主の話』

https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/card52291.html

 

まず一言断っておくと、私はそれほど怪談や民話というものに明るくないので、怪談におけるお約束的なものが拾えていない可能性があります。日本の民話に限らず世界中の神話やら伝説に関しても(YouTubeでゲーム配信をチョットヤル人にしては)詳しくないんじゃないかと。
Fate/Grand Orderを少しプレイしているとギリシャ神話やら日本の鬼やらアーサー王伝説やらに触れる機会が生じるのですが、元ネタをちゃんと調べたことはそんなに多くありません。海外旅行に行ったときにその土地の伝説について知識があると楽しいので、行く前には少しだけ調べたりしますが……

 

最初に読んだ時、「2人はどんなことを話したのだろう」と思いました。村の人の噂話とか、都で何が起こってるだとか、そういうことを話すのかな。居酒屋やカフェで隣の2人組が話していることをこっそり聞くのっていいですよね(これを読んでいる人は雑談配信が好きな人ばかりなので賛同してもらえると信じています)

次に、勘作がびっくりするほどいい人であるということ。私は他人の人生にそこまで責任を負いたくないので、わざわざ外に出て水の男が人間になるのを止めたりはしないと思います。勘作がいい人なのか、私が自分の信条を曲げてまで人が何かするのを止めたいと思うような人に出会っていないだけなのか。
インターネットで遠く離れた人――バーチャル世界の人とか――と出会えるようになったから、その分ひとりひとりとのつながりみたいなものが薄れてしまった、とか言う人もいそうですがそれは結果論に違いないですね。名作古典を現代人の私たちが読むとき「今と昔はこんなに違うんだなあ(インターネットのない世界)」とか「昔も今も同じだなあ(桜の美しさ)」みたいな視点で読むことは多々あるけれど、人と人の付き合い方だとか向ける感情は時代とともにどんな風に変わってきたんでしょうね。

 

そもそも、水の男というものはなぜ人間になりたかったのか。夜だけしか人間の姿になれないとか、そういう事情があると推測します。
神様になって勘作を神主として社に呼んだ時、お酌をしている水の男は人間の姿じゃないっぽいんですよね。この結末って水の男の本望なのか?さっさと人間になって勘作と人間の姿で昼夜酒を飲むほうが良かったんじゃない?これって本当にハッピーエンド?大丈夫?

分岐として、
(1)勘作が水の男を止めるのに成功 神様と神主エンド(いまここ)
(2)勘作が水の男を止めるのに失敗
(3)勘作は水の男を止めない

を考えます。

まず(3)の状態になるには勘作が水の男に対して情が湧きすぎて人間の道理というものを外れるわけですから、死後に地獄行き、なんてのも考えられますね。次に(2)だとして、次に勘作が水の男に会ったときに自責の念を少なからず感じるはずなので、一緒に酒を飲むことはなくなるような気がします。

それでも私は2人一緒に酒を飲んでほしいよ……(突然のオタク)というのは冗談ですが、この作品がハッピーエンドめでたしめでたしと素直に思えないのは私の心が人の道理<<欲望寄りの考えだからなのかもしれません。なぜか米津玄師の「眼福」が脳内を流れています。

 

おしまい。

 

私の書くFanboxの記事はボトルメールみたいだなぁと思います。特定の人に向けて書いてるわけではなく、自己満足で電脳オーシャンに放流する感じがぷかぷかした瓶に似ているそれです。

それではまた次回。