乾燥もずくの読書文2 『桜の樹の下には』

<これは2021/02/09に🎮シノ🐈:Vtuber|pixivFANBOX で公開した同名記事の転載です>

 

どうも、もずくです。

つい先日立春を迎えましたが、まだまだ冬!って感じで寒いですね。

今この文章を書いているときは二十四節気をさらに細分化した"七十二候"の"黄鶯睍睆(うぐいすなく)"に該当するらしいのですが、バーチャル北国ではまだ雪が残っていて雀が体感もふもふでふかふかな様子。はやく暖かくならないかな~。

今回は春を先取りする気分で梶井基次郎桜の樹の下には』を読みました。すごい短いからみんな今読もう。リンク↓
https://www.aozora.gr.jp/cards/000074/card427.html

 

[感想はじまり]

 

冒頭文≒サムネ

桜の樹の下には屍体が埋まっている!」

文学作品の冒頭文、クイズ番組でもよくとりあげられているイメージがあります。「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」とか「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」とか、私はどちらの作品も読んだことないけれどタイトルと冒頭文だけ知っている。『桜の木の下には』も同様に冒頭文だけ知っていました。

この小説を読み終わった後、「冒頭文、釣り動画の説明文にありそうだな」って思いました。屍体の存在、「俺」の妄想(の可能性が高い)じゃないですか。サムネにでかでかと「桜の下には○○が!?」って書いてある。赤字ヒラギノ角ゴシックで。ちなみにコメントは「妄想乙」で荒れてる。そういう動画が脳内に再生されます。

「○○年、××にて――」から始まる小説は逆に映画っぽいですよね。
特にファンタジー/歴史ものだと顕著。「モズーク歴28年、レモチャソ城にて――」と書けばたちまち映画の冒頭、城を空撮していい感じに字幕が入って、いい感じに主人公の方向にズーム、物語が始まるって感じです(架空の暦および地名です)

やはり冒頭文は大事。

 

モズーク暦って西洋ファンタジーってより別の星の宇宙人が作った暦っぽいな。響き的に……

 

ちゃんと桜を見たことがないのかもしれない

「よく廻った独楽が完全な静止に澄むように、また、音楽の上手な演奏がきまってなにかの幻覚を伴うように、灼熱した生殖の幻覚させる後光のようなもの」を「俺」は満開の桜に感じている、らしいですね。

独楽といえば、昔実家にあった地球ゴマのことを思い出します。あれが回っているときは金属のフォルムと規則的な動きが合わさって、周りの空気が変わるような気がしました。音楽の上手な演奏が幻覚を、というのもすごくわかる。

 

でも桜に対してはあまりそういうことを感じたことがないなあと思います。その理由を考えてみたのですが、自分はこれまで桜を「風景の一部」としか捉えていなかったのかもしれないと思いました。車窓から見える川辺の桜だとか、公園で花見をしている人たちだとかはもちろん見たことがありますが、それはきっと桜本体を見ているわけじゃないんですよね。木の匂い、花びらが落ちてくる速度、色、かたちを感じたことがない、のかなあ。

たぶん私は何か一つを集中して見ることも、景色全体をぼんやりと俯瞰するのが好きなんだと思います。たとえば「桜+花見客+屋台」のような風景だったら、”花見客の声”と”焼きそばの匂い”と"桜と木漏れ日"を同時に見ているような、そういう風景の楽しみ方をしているんじゃないかな~。(でもそんな雰囲気が伝わるような写真を撮るのって難しい……)

 

誰かと一緒に空想する

「俺」は「おまえ」に桜の木の下で何が起こっているかを話して聞かせます。やたらとリアルな描写に「おまえ」は冷や汗をかいている。

私はこういう根拠のない空想をしてみるのが好きなたちです。ゲーム内資料読み込んでその世界の名も知らぬモブキャラの生活を空想してみたり、この森には何が住んでいるんだろうな妖精かなあと考えてみたり、ビルの隙間を駆け抜けていくニンジャを妄想したり……

でもこういう話を真面目に聞いてくれる友人って案外少ないんですよね。こ人の話を聞くのも新たな発見があっておもしろいからいろんな人と喋りたいな~

どうせならお互いの空想力でバトルしようぜ!勝負だ!

 

[感想終わり]

 

感想がうすいねこです。

小説を読むときあんまり考えてないことがばれてしまうな。
感想を私と共有してくれると喜ぶので、よろしくお願いします!
山月記の感想書いてくれたひとありがとうございます~

では~

 

余談:シノ㈱の4人、それぞれどの季節担当だと思いますか?

私は、春:シノ、夏:れもん、秋:もずく、冬:律歌だと思ってるんだけど冬律歌が正直あまりしっくりきてないところあります